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第1話 旅先の温泉宿にて


    「あー、いいお湯でした。あなたもビールばっかり飲んでないでお風呂行ってきたら? 」

    浴衣を着て上機嫌の妻、春江が戻ってきた。

    来月52歳になる春江だが、今日はいつもより華やいで見える。

 

    「ああ、じゃゆっくり入ってくるかな」

    タオルを手に取り立ち上がる誠三郎に

    「晩ご飯は6時半に頼んであるから、それまで戻ってきてね。」

    と春江が声をかける。

 

    「隆彦もやっと嫁取りかぁ」

    一人息子で専務の隆彦の結納が来月控えている。

    ちょうど30歳で一つ年上の女性と結婚することになった。

 

    婚約者小田しおりは隆彦の高校の先輩で、一度離婚を経験していることもあり、誠三郎は反対だったが、春江が隆彦の応援に回り、半ば押し切られた形だ。

 

    「金のわらじを履いてもかぁ、落ち着いて考えりゃ、確かにいいお嬢さんだよなぁ」  

 

    今では新橋駅の周辺で4店のすし店を構えるまでになった誠三郎はゆっくり体を湯船に

 沈め3年前を思いおこしていた。

 

 

誠三郎の苦悩

 

    3年前の誠三郎は新橋三丁目で営業する寿司店「すし処さわ田」のオーナー兼親方だった。

 

    そのころの「さわ田」は近隣オフィスのビジネスマン相手に手頃な値段のランチが繁盛するものの、夜のお客は開業当時からの馴染み客主体で回転率は1.0を切る、これといって特徴のないお店だった。

 

一緒に板場を切り盛りする板前の信一も腕はよく、本人さえその気ならいつでも暖簾分けができるだけの力のある男なのだが、全く野心と言うもののない人間だった。

 

大親方の紹介で信一が店に来た時、彼はすでに職人としての一定の腕を持っており、一彦もあえてしごいたりしたことがない。だいたい誠三郎自身も、自分でするのは得意だが、人に何かを教えたり説明するのは得手ではなかった。

 

    「御神酒徳利(おみきどっくり)」と言う言葉があるが、信一はまさしくそれで、誠三郎にとっては何も言うことのない板場のベストパートナーである。

 

    それに引き換え跡取り息子の隆彦とは何かというとケンカばかりである。

 

    隆彦は東京近郊の私立大の経済学部を卒業後、就職した飲料卸を辞め、調理師学校に通いながら店の手伝いをしている。

 

    洗い場の傍ら、母の春江に代わってお金の管理をしているが、ややもすると良いものを多めに仕入れがちな誠三郎に対し、「仕入れに金がかかり過ぎる」と、意見することもしばしばである。

 

    「冗談じゃねえよ。ネタだけじゃない、海苔や醤油だってコダワリってもんがあんだろうよ。それをコマコマコマと・・・  これじゃ春江ん時の方がなんぼ良かったか・・・」    

 

妻の春江は、穏やかで辛抱強い性格で、店を支え続けてきた。売り上げの低下もだが、それより、夫と息子がかみ合わないことを何より心配している。

 

バイトの麗華は24歳と若いが一児の母。スナオな性格でお客の受けもよいが 指示待ち型で、おかみさんから言われないとお客さんの注文サインを見逃したり、持っていくテーブルを間違えたりする。

のんびり屋で悪気がないだけに、親方も内心やきもきしながらも注意できずにいる。

 

    「あーあ」

 

大田区梅屋敷の自宅マンションの狭い浴槽に身を沈め、ゴツイ見かけによらず何とも情けないため息をつく誠三郎だった。(続く)

 


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